バナナの叩き売りにはいろいろある 大道芸と的屋の違い

バナナの叩き売りの始まり
バナナのたたき売りの発祥の地は、福岡県北九州市の門司港です。

もともと、神戸に持ち込まれていたのが始まりで、明治末期から、終戦の4、5年前まで台湾から門司港に大量のバナナが輸入されてきていました。
バナナはまだ青い状態で輸入され、セリで落とされ、仲買人[室(むろ)を持つ問屋]で成熟させて(歌にもあるように)黄色くしてから、売られるのが普通です。
でも、どうしても輸送途中に、早く黄色くなって熟れちゃうのもあったので、そういうやつは露天商等の手を経て、口上よろしく客を集めて売りさばかれたそうです(当時バナナは高級品でした)
それが文字通り ?「バナナの叩き売り」 の始まりだそうです。

参考文献
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人から聞いた話ですが、売る際には、買い手がつかない時、これを3房くらい重ねたといいますから、今の感覚から言うとできません。


出典 門司港バナちゃん大会2006年より
(阿里山のバナナもアクダイと同じように小さかったと思われる。アクダイはバナナの叩き売り用とは違う)





ばななの叩き売りの口上、バナちゃん節今昔物語
バナナのたたき売りの口上である「バナちゃん節」は、門司出身の井川氏が考えたものです。
出典 門司港バナちゃん大会2006年より
バナちゃん節や口上が入ったCDが門司港で発売されており、それの作詞者として名が残されています。
聞かれた方はわかるかもしれませんが、
♪春よ三月からの歌い始めに合わせて一定のリズムにのせて売るという売り方だと思っている人が多いようです。
確かに当時はこのように歌に合わせて売っていたようですが、歌詞が昔と違っていたといわれています。
また、現在の門司流のばななの叩き売りは、口上だけを述べて売るやり方に変わってきており、
ここでも当時とは違うバナナのたたき売りになっているようです。
なぜそのように変わったのか?
歌詞の違い
当時本当にこのような歌詞だったのか?
またそのような売り方をしていたのかどうかというのは疑問であると、
テキヤの流れを組む佐賀流バナナの叩き売りをしている北園忠治氏の著書にそう書いてあります。
北園忠治氏は昔から、バナナのたたき売りを始め、いろんなお店をしていた的屋さんです。
その著書によると、彼は井川氏に尋ねて確認したそうです。
そうすると井川氏はバナナの叩き売りで商売をしたことはなく、
幼い頃に聞いた露天の口上を、彼になりに復活させたというのが、「バナちゃん節」なのです。
そのことは、海峡ドラマシップの「覗きからくり」の写真の解説にも書かれています
出典 門司港バナちゃん大会2006年より
つまり「バナちゃん節」は、昔から語り継がれているものでなく、井川氏が昔聞いた節を繋ぎ合わせて作ったものです。
ですが、当時に残ったこれらのモノを後世に残す為には大変な努力があったと思われ、敬意を表したいです。
歌から口上への変化
口上を述べて売るやり方は、映画「男はつらいよ」の寅さんの口上でもおなじみです。
いわゆる啖呵売と言われるものです。
「結構毛だらけ、猫灰だらけ、お尻の周りはxxだらけ(自主規制)」というように口上をつらつらと並べて興味を引き周りに人を集めて、品物を売るというやり方です。
当時のばななの叩き売りというのは、バナちゃん節のようなもの自体が口上の寄せ集めのようなもので、バナちゃん節のようなものを歌いながら、口上を挟みつつ売っていた。
だから、すべての歌を歌い終わるまでに時間を要したと思います。
門司流が歌の流れから口上に変わっていったのは、私も習った門司港のバナナの叩き売りの第一人者、清水氏からです。
彼も北園忠治氏についてバナナの叩き売りを学んだそうですが、歌を歌うやり方が出来ずに今のスタイルを作ったそうです(北園忠治氏に確認済み)
それが現在の門司流になっているそうです。
2019年佐賀流のようにする方もいますが、道場で教えているのは門司流のようです。
文化なので、それはそれでいいと思います。
曲調の変化(売り方である歌の変化)
佐賀流、肥後流、門司流は基本的に曲調が違っています。同じ言葉でも地方によってイントネーションが違うという感覚でしょうか?
また、内容もアレンジされているので、バナちゃん節も多少違うようです。
これは方言による発音等によるものや、彼らの使いやすいような語句で使われていたためと思われます。
また、落語や講談、洒落、歌などの歌詞からも引用やアレンジしていたりします。
売り方の変化
「歌から口上の変化」でも書きました通り、大別すると門司流と佐賀流に分れます。
肥後流はどちらかと言えば佐賀流に近い。
佐賀流や肥後流は、啖呵売、口上を独特の節にのせて途切れなく歌う。
売るための「テキヤ」の売り方。
「ハイ、300円。(売ってしまった後も、途切れないで歌が続いていくような感じ)あ~~~~今売れたバナナはちょっと青かった、今度は熟女・・・♪」
門司流は口上をぶつ切りにした一回一回がステージ、大道芸的な見せる売り方と節回しといえるでしょう。
「ハイ、300円。(いったんここで、終わりになって、次の口上に入る)お次のバナちゃん、これ見て頂戴!先程のバナナはちょっと青かった、これは、売れ頃、年頃バナナ(歌ではなく口上)」
余談:ばななのたたき売りのセリフの中には、今ではセクハラになるような口上もあります。
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ちなみに、寅さん、劇中で歌っていましたが、どちらかに習ったとか・・・(記憶が曖昧ですが、多分北薗さんではないかと・・・)
収録曲
01. 泣いてたまるか
…テレビドラマ「泣いてたまるか」主題歌
02. 男はつらいよ
…テレビドラマ&映画「男はつらいよ」主題歌
03. チンガラホケキョーの唄
…映画「続・男はつらいよ」挿入歌
04. ごめんくださいお訪ねします
…映画「あゝ声なき友」主題歌
05. こんな男でよかったら
…テレビドラマ「こんな男でよかったら」主題歌
06. いつかはきっと(掛け声:山田パンダ)
…テレビドラマ「ヨイショ」主題歌
07. 寅さん音頭
08. 祭りのあと
09. 渥美清の啖呵売(一)
10. 渥美清の淡呵売(二)
…「男はつらいよ」劇中のバナナの叩き売り口上
11. 浅草日記
12. 今日はこれでおしまい
★歌詞カード付
まとめ
井川氏はバナナの叩き売りで商売をしたことはなく、幼い頃に聞いた露天の口上を、彼になりに復活させたというのが、「バナちゃん節」
そのため、昔ながらの的屋や啖呵売のスタイルとは違うけど、復活させた偉業h井川氏
縁日などでバナナの叩き売りをやっていたのが、北園氏
私が習ったのが清水氏
違いはありましたが、バナナの叩き売りは門司港発祥であることは間違いありません。
残していきたい文化です。